園長コラム


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このページでは、毎月園長のコラムを掲載します。

大きな木

2024年1月

 明けましておめでとうございます。2024年という新しい年が始まりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。この新しい年が平和で、子どもたち一人一人が豊かに成長できる年になりますよう心から願います。
 新年明けてすぐに能登半島を中心に大きな地震が起こり、多くの方々が亡くなり、被災されています。被災された方々が1日も早く安心して暮らせますようお祈りいたします。また世界では戦火の中多くの子どもが傷つき、大切ないのちが奪われ、また十分な食べ物がなく飢えている多くの子どもたちがいます。このような現実を突きつけられる時、本当に平和を願い、平和をつくり出して、みんなが安心して暮らせるようにしていかなければならないと強く思わされます。(聖書で平和は、傷ついた部分がひとつもないこと、傷ついた人がひとりもいないことを意味しています。)この平和をつくり出していくためには分断ではなくそれぞれが違いを認めつつ繋がっていくこと、そして一つ一つの関係を大切にして信頼を生み出していくことがなにより大切です。それは子育てにも通じています。子育ても一つ一つの関係を大切にし、親と学校(幼稚園)と地域がそれぞれ子どもを中心に繋がっていくこと、そして子どもたちへの一つ一つの言葉がけが大切です。そうすることによって信じる力が生まれ、それが強い信頼関係となっていきます。その信頼関係が子どもが本当に安心して成長できる源となります。
 この新しい年、私たちは一つ一つの関係を大切にし、それぞれが繋がって、子どもへ心のこもった言葉がけをしつつ、子どもが豊かに成長できる子育てをしていきたいですね。この子育てがみんなを平和へと導くと信じて。

このページでは、大きな木と題して毎月園長のコラムを掲載します。

2023年12月

 いよいよ12月、クリスマスも近づいてきました。サンタさんからクリスマスプレゼントをもらうと子どもたちは大喜びです。大人もクリスマスプレゼントをもらうと、とてもうれしい気持ちになります。そしてプレゼントを贈ってくれた人に感謝の気持ちが生まれます。この「感謝」の気持を今度はプレゼントをもらった自分が他の人に分かち合っていくと、感謝の連鎖が生まれ、不思議なことに感謝の気持ちが、豊かなもの、素晴らしいもの、人々に喜びと平和をもたらすものとなっていきます。
 クリスマスに生まれたイエス様は、闇を照らす光としてこの世に生まれました。そして闇の中で寂しい思い、悲しい思い、苦しい思いにうちひしがれている人々と共に生きることによって、闇の中に光りを、悲しみの中に喜びを、苦しみ・絶望の中に希望をもたらしました。そして闇の中で生きていた人々は、イエス様こそ神様からの最高のプレゼントだと感じ、その喜びを多くの人々と共に分かち合ったのです。そしてそこに平和が実現していきました。
このクリスマスの時、世界では痛ましい戦争があり、多くの人が恐れと不安の中にあります。一日も早く平和が実現することを心から祈ります。そして闇の中の光として、平和を指し示す光として生まれ生きたイエス様の誕生を記念するクリスマスの時だからこそ互いに感謝するということを求め、その喜びを分かち合って平和を実現していかなければと強く願わずにはおられません。クリスマスの平和がありますように。

2023年11月

 季節は実りの秋、収穫の秋です。この「いのち」育む秋の実りに感謝です。
私たちがなにげなく使っているこの「感謝」という言葉には「相手に対して心が強く動き、ありがたいという気持を言葉にして伝えること」という意味があるそうです。この感謝の気持を伝える「ありがとう」という言葉は「有り難し」から「有難い」となって、「生」を「いのち」を受けるという奇跡に対して(生もいのちも有ることが難しい奇跡です)神仏を称えるための言葉だったそうです。
 「いのち」を「生きている」ということは、当たり前のことではなく本当に奇跡です。この「いのち」に感謝です。またこのいのちのための「食」ということも決して当たり前のことではなく、他の「いのち」をいただくというおごそかで、本当に感謝するものです。
 私たちは「いのち」・「食」ということが、「有り難し」ではなく有ることが当たり前なことになってしまって、本当にそのことに感謝して「ありがとう」となかなか言えなくなってしまっています。感謝の気持ちを忘れると、人と人との関係もだんだん希薄なもの、他者の思いを感じられないものとなっていってもしまいます。
この実りの秋にもう一度「いのち」に感謝して「ありがとう」という言葉を心から、それこそ心を強く動かして互いに言いたいと思います。「いのち」を本当に大切にして、「ありがとう」と互いに感謝を共にできる関係、共に思いを感じ合える豊かな関係を育んでいきたいですね

2023年10月

 聖書ではこの世界のはじめは「混沌とした闇であった」と記されています。その混沌とした闇の中で神様が一番始めにつくられたものが「光」でした。混沌とした闇の中に神様は必ず「光」をもたらしてくださるということが聖書において一貫して語られています。
闇の中に置かれると人は、不安を、恐怖を、疑いを感じ、自分の内へ内へと向かって動けなくなってしまいます。そして他者との関係も切れてしまったりしてしまいます。しかしその闇の中にわずかな、小さい「光」が見えたとき、人は安心し、信頼関係も取り戻して人と再びつながって起き上がり動けるようになります。私たちはその「光」をどこに、どのようにして見いだしているでしょうか。
 子どもたちを見ていると、この子どもたち一人一人の存在こそ、この世界、この社会を照らす「光」であると常に思わされています。この子どもたちが放つ「光」がいよいよすてきに、温かいものと感じられる社会であってほしい、子どもたちこそ世の光であると感じられる社会であって欲しいと強く願っています。そのためにも小さなものを「光」として感じる感性を共に磨いていきたいですね。

2023年9月

 二学期が始まりました。幼稚園に子どもたちの元気な声が戻ってきました。
 子どもたちの元気な声を聞くと、私の目の前が広々とひらけ、明るく元気になります。子どもたちは決して人を元気にしてあげようと思ってそのように振る舞っているのではありません。自分の喜び、楽しみ、またイヤなこと、悲しいことを素直に表現しているだけです。 
 「面白い」という言葉の元々の意味は「目の前が広々とひらけ、明るくなる感じ」というものだそうです。子どもたちは「面白さ」を発見する天才です。遊びの中で、出会いの中で、新しい発見をして、子どもたちは目を輝かせ元気いっぱいになっています。そしてこの「面白さ」の一つひとつの発見が、子どもたちを豊かに成長させています。
 そんな子どもたちの姿から私は教えられています。当たり前で、何気なく過ごしてしまっている日々の生活の中で、もっともっと「面白さ」を発見し、子どもたちに負けないくらい元気に生きていかなければと。

2023年7月

 私の子どもが在籍している高等学校(キリスト教愛真高等学校)は「人は何のために生きるのかを求め、探すことを教育の中心に据え、豊かな知性と確固たる良心を合せ備えた責任の主体たる独立人(自立し・真実に生きようとする人)を育成するために何事も自分で判断するということを大切にしている」学校です。この高校の教育の在り方から私自身も色々学ばされています。
 現在、私たちの回りでは真実を「自分で判断する」ということがなかなかできにくくなっています。(特に大人が・・・)それは回りの目を気にしたり、自分で判断し行動するより、回りにただ合わせてしまったり、回りの(組織の)指示に従い動く(動かざるを得ない)ということが非常に多いからです。そういうあり様の中では責任の主体である私というものがどこかへ行ってしまいます。そして真実を求め、自分が何のために生きるのかを求め、探すこともあきらめてしまいます。
 本来、子どもは好奇心旺盛で、「生きる」ということについてもある意味貪欲です。しかし大人のこのようなあり様の中では、子どもの生き生きとした、求めようとする思い、探していこうとする心がだんだん濁っていってしまいます。そのようなことにならないためにも、大人が生き生きとして、責任の主体である私として、真実を求め、探し続けていきたいですね。

2023年6月

 聖書には「この世界のすべてのものは神様によって、極めてよいものとして造られた」と記されています。私たち人間一人一人も「極めて良い」ものとして神様からいのちを与えられ、つくられているのです。
 でも私たちはどうしても他者との比較の中で「良い・悪い」を判断してしまいます。また、他者をあるいは他の生物を自分の思いだけで悪いもの、嫌なものとして排除したりもしてしまいます。そして「すべてのものが極めて良いもの」としてつくられていることを見失い、一つ一つ(人と人、人と自然)の関係を壊してしまうということが起こります。関係が壊れたところでは生きる喜びさえ見失われてしまいます。
 子育てをしていても自分の子とほかの子を比べてしまい、自分の子どもの劣っているところだけが気になってすごく不安になってしまうといことが度々起こります。そういう時、私たちも、子どもたち一人一人もそれぞれが「極めて良い」ものとしてつくられていること、そして一人一人にかけがえのないいのちと「極めて良いもの」が与えられていることを思い起こしたいと思います。
 そして子どもたち一人ひとりに積極的に、肯定的に心を向けて、子どもたち一人ひとりに、そして私たち一人一ひとり与えられている「極めてよい」ものを互いに見つけ合って、一つ一つの関係を大切に豊かに育んでいきたいですね。

2023年5月

 新緑の美しい季節になりました。この時を待っていたかのように木の芽たちは一斉に芽吹き輝きを放っています。それはまるで木の芽たちが「ここにいるよ!見て見て」と言っているかのようです。
 子どもたちはいろいろな方法で「ここに私がいるよ!」とアピールしてくれます。笑ってアピールする子、良いことをしてアピールする子、また逆に泣いてアピールする子、いたずらをしてアピールする子、反抗してアピールする子等々。
そして自分が認められ、受入れられていること、自分がここにいていいんだと感じたとき、子どもたちは安心して自ら「やってみようかな」と思い動き遊び出します。その子どもたちの顔は新緑の木の芽以上に、ピカピカに輝いています。
子どもたちの「ここに私がいるよ!」というメッセージを心から聞き受け止めていきたいですね。

2023年4月

道端のタンポポもほかの草花も春の日差しを受けてピカピカに顔を輝かせています。子どもたちも一つずつ大きくなり、子どもたちの顔もお花以上にピカピカに輝いています。皆さま、ご入園、ご進級おめでとうございます!!
 お花は本当にありのままの姿が綺麗で素敵です。それは私たち人間も同じです。しかし私たちはともすると、もっと良くなりたい、もっと綺麗になりたい等、もっともっと~になりたいと強く思いすぎてしまって、また人にも、子どもにも「もっと・もっと」ということを強要してしまって、ありのままの良さを見失ってしまうということが起こります。そして自分に対しても、子どもに対してもイライラしてしまいます。そういう時、私たち一人一人に与えられている命はかけがえのないもので、そのままで(ありのままで)素晴らしいものなんだということを思いだしたいと思います。そのいのちへの思いが本当に人を豊に育てていきます。
 子どもたちも、ありのままの自分が受け入れられているということを実感したとき、安心して遊び、心豊かに育っていきます。ありのままのいのちを大切にする子育てを共にしていきたいですね。

2023年3月

 大変厳しかった寒さもやっと緩み始め、春の訪れを感じられる頃となりました。寒さの中で力を蓄えていた草の芽、木の芽は芽生えの時を今か今かと待っています。園庭のチューリップも芽生えはじめ、イチョウの木の芽もふくらみはじめています。この草の芽、木の芽の芽生えにふれる時、生命の芽生えとその成長という未来への希望があふれ出てくるのを感じます。
 子どもたち一人一人はこの一年で本当に成長してくれました。この子どもたちの成長にふれる時、「みんなよく頑張ったね、そしてみんな希望に輝くぴかぴかな顔をしているね。ありがとう」と声をかけたくなります。そしてその子どもたちとどんなときも共にいてくださる神様に感謝です。
 この子どもたちの未来には本当に大きな希望があります。そのことを思うたびに子どもたちの明るい未来のためへの責任も強く感じさせられます。子どもたちの成長には、おうちの方々の、幼稚園の先生方の、また多くの方々の支えが本当に必要です。
 私たちは子どもたちの希望あふれる未来のために心を合わせ、力を合わせて子育てしていきましょう。そして子どもも大人もみんなが「この命にありがとう!」と言える希望あふれる未来をつくり出していきたいですね。

2023年2月

 まだまだ寒い日が続いています。この寒さばかりに気を取られていると、もうすぐそこまで来ている春の息吹を感じられなくなってしまいます。
 人は自分のこと、自分の気持ばかりを気にしていると、周りの人のこと、人の気持を感じられなくなってしまいます。でも自分が苦しくて苦しくてたまらないとき、それこそ人のことなどかまっていられないと思うその時に、自分の気持を理解し、自分に寄り添ってくれる他者がいたらどうでしょう。それは本当にうれしいこと、ふっと心が休まること、それこそ寒さの中で春の息吹を感じることになりはしないでしょうか。
 聖書に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」という言葉があります。イエスという人は人の気持を、自分のこととして感じ、共に泣き、共に喜び、共に生きていくことができる愛の人でした。そのイエスに出会った人はふっと心に休息が与えられたのでした。
 私たちも、日々の生活、子育ての中でイライラしたり、苦しくなってしまったりすることがあります。そして余裕をなくしてもしまいます。でもそういう時こそ、逆に人(子ども)の気持を感じ、人(子ども)の気持に気づき、人(子ども)により添うことのできるチャンスでもあります。そしてそうすることで自分にもふっと休息が与えられもします。子どもの気持に少しでも寄り添うことのできる、生活、子育てをしていきたいですね。

2023年1月

 2023年という新しい年が始まりました。皆様、新年おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 新しい年の初めにあたり、「今年こそ~しよう」と心に決められた方もいらっしゃると思います。私も「今年こそ!!」と心に決めたいくつかのことがあります。その中でも心から願い求めていることは、この2023年という年が子どもたちにとって希望に輝く平和な年となり、子どもたち一人一人が心豊かに成長してほしいということです。
 キリスト教でいう平和は、「傷ついた部分が一つもない状態」をいいます。一人でも傷ついている人泣いている人がいたらそれはもう平和ではないのです。しかもその「平和」は誰かが与えてくれるものではありません。みんなで、一緒に作りだしていくものです。平和を作りだしていくためには一つ一つの関係を大切にして信頼を生み出していくことがなにより大切です。一人の友だちが困っていたら、悲しんでいたら、その友だちの気持ちをみんなが共に感じて助け合っていく、一人の友だちが喜んでいたら、みんなが共に喜びを分かち合っていく。そういう一つ一つの関係を、友だちとの関わりの中で育んで行けたら本当にすばらしい信頼関係が生まれ「平和」が作り出されて行きます。そして子どもたちの心も豊かに成長していきます。
 そのために私たちは(子どもも大人も)この年をお互いを大切にする(愛し、信頼する)関係を豊かに育くむ1年としていきたいですね。

2022年12月

 私は子どもたちに何度も何度も何度も「一番大切なものはいのちなんだよ!」とお話ししています。この
「いのちが一番大切」ということを本当に伝えること、そしてそれを理解することはなかなか難しいことです。私自身、何度も何度もこのことをお話するのは、常に自分自身にも言い聞かせておかないと、「いのちがあり、生きている」ということに畏敬の念を抱かずまた喜びも感ぜずに、ただ当たり前のこととしてしまうからです。
 神様から私たちに示された大いなる奇跡はクリスマスの出来事(イエス・キリストの誕生)であり
それが喜びであるとキリスト教では教えています。またクリスマスの物語に登場する羊飼いたちや、博士たちはクリスマスの出来事に畏敬の念を強く抱いたと伝えられています。このクリスマスの奇跡と喜びそして畏敬は「いのち」ということと深く結びついています。私たちひとり一人がこの世に生まれ、今を生きているということ、自分にいのちがある、自分が今生きているということは決して当たり前のことではなく、まさにクリスマスの出来事と同じように神様からの「奇跡」であり、喜びであり、畏れ敬うことです。イエス・キリストの誕生だけが奇跡で、喜びで、畏れ敬うことなのではなく、私たちひとり一人が生まれ、そして今生きているということも「奇跡」であり、喜びであり、畏れ敬うことなのです。
クリスマスを迎えるこの時もう一度、子どもたちと「いのちの大切さ」「いのちの奇跡」に共に思いを馳せ、この神様から与えられたいのちの奇跡を共に喜び合い、そのいのちを畏れ敬いつつ一生懸命生きていきたいですね。

2022年11月

 実りの秋、収穫の秋、食欲の秋がやってきました。柿の木にも色づいた実が美味しそうに実っています。
 幼稚園では毎年11月に収穫感謝礼拝を行なっています。英語でこの収穫感謝礼拝のことをThanksgiving Day(サンクスギビングデイ)といいます。この行事は神様に秋の実りとその収穫を感謝すると共に、その収穫の恵をみんなで分かち合うことを目的としています。
ありがとうと感謝して受け取ったもの、それを独り占めにするのではなく皆で分け合うことによって神様に感謝するのがこの日です。子どもを含め人はどうしても独り占めをしたくなってしまいます。でも独り占めしたら喜びは自分だけ。それではひとりぼっちでみんなで喜びを分かち合うことができません。でもそれをみんなで分かち合ったなら一人分の量は少なくなるかもしれませんが、喜びは何倍も何倍も大きくなります。この分かち合う喜びを知ることが人間を大きく成長させます。それは子どもだけではなく、大人にとっても大切な事です。
 この実りの秋、収穫の秋に分かち合う喜びを共にしていきましょう。

2022年10月

 だいぶ秋らしい気候になってきました。いよいよ実りの秋、成長の秋です。
 子どもの一つ一つの成長は親にとって大きな喜びです。親とのよい関係があってこそ子どもの豊かな成長はあります。そして親は子どもの成長に大きな責任を負っています。でも子育ての責任を強く感じすぎて、いつのまにか子どもを育てているのは私だけとしか思えなくなってしまい、子育てが窮屈で孤独で苦しくなって「孤育て」になってしまっていないでしょうか。
 「親がなくとも子は育つ」という言葉があります。この言葉は子どもにとって親などはいらないということを言っているのではなく「子どもはまわりの人のあたたかな心づかいと、子ども自身の力で育ってもいく」ということを言い表わしています。子どもは親以外の人との関係の中でも大きく豊に成長していくのです。子どもは親、きょうだい、家族、友だち、先生、地域の方々等、それぞれの人との関係の中で豊に成長していきます。私だけがという気持になってしまい、苦しくなったときは、子どもは私だけではなく多くの人との関わりの中で成長しているということを思い起こしてみてください。そしてまた、その子どもによって親である私も育てられているということも忘れないでください。子育て、そして教育は決して一方通行ではなく、孤育てでもなく、親と子、親と子とまわりの人たちお互いが育ち教えられて成長する「共育」です。そのことを心にとめるとき子育てはより豊かなものとなっていきます。
 共に育て、共に育つ子育て「共育」を、共にしていきましょう。

2022年9月

 皆様、夏休みはいかがお過ごしでしたでしょうか。いよいよ二学期が始まりました。
まだまだ新型コロナウィルスの感染拡大が続いていますが、一日も早く感染拡大がおさまるよう願っています。そしてこの二学期に子どもたちがいろいろなことにチャレンジすることができ、豊かに豊に成長してくれることを心から願っています。
 私が好きな歌に新沢としひこさんの「はじめの一歩」という歌があります。
この歌には「はじめの一歩、あしたに一歩、今日から何もかもが新しい、はじめの一歩、あしたに一歩、勇気を持って大きく一歩、歩き出せ。信じることを 忘れちゃいけない必ず朝は おとずれるから・・・」という歌詞があります。なかなかはじめの一歩を踏み出せない私はこの歌を聴く度に力づけられています。
 はじめの一歩を踏み出すには大人も子どもも本当に大きな勇気が必要です。その勇気を後押ししてくれるのが周りの人との「信じ合える関係」「安心できる関係」です。不安や疑いの中では新たな一歩を、はじめの一歩を踏み出すことは決して出来ません。
 子どもたちが本当に安心して、はじめの一歩を踏み出すと、その小さな一歩が30倍、60倍、100倍の歩み(成長)となっていきます。そのはじめの一歩をこどもたちが安心して踏み出せるよう「信じ合える関係」「安心できる関係」を共につくり出し大切に育んでいきたいですね!

2022年7月

 今、ウクライナとロシアとの間で戦争が行っています。1日も早く停戦となるよう願いつつ「平和」の在り方について、「平和」をどのように実現していったらよいのか切実に考えさせられています。誰にとっても「平和」は大切です。でも「平和」をつくり出すことは大変難しいです。それは今起っている戦争も「平和」のためという大義で行われているからです。戦争になると一番被害を受けるのは子どもたちです。戦争は子どもの生命を、子どもの笑顔を容赦なく奪います。子どものために戦争は一刻もはやく終わらせなければなりません。
 子どもたちの笑顔は本当に「平和」をもたらしてくれます。「平和」の基本はこの子どもたちの笑顔にこそあります。子どもたちの笑顔は武力で、駆け引きで生まれるものではありません。子どもたちの笑顔は信頼と安心の中でこそ生まれ輝きます。
 子どもたちがいつも輝く笑顔でいられるよう、みんなで「平和」についてもっともっと考え、みんなで子どもの笑顔が満ちあふれる「平和」をつくり出していきたいですね。

2022年6月

 学生時代、私が始めて児童施設で実習をしたとき感動したことがありました。それは私には当たり前になっていて何の新鮮みも感じないことに(たとえば、建物が高いとか、飛行機が飛んでいるとか、花がさいているとか、チョウチョが飛んでいるとかに)子どもたちは驚き、感動して「すごいね!きれいだね!」と大声をだしているのです。その子どもの姿を見て、学生でしかも物事をどこか斜に構えて見ていた私にとってその子どもたちこそ驚きでした。子どもは新しい発見をしたとき、何かに挑戦してそれができたとき本当に喜び躍り上がります。そういう喜びがあると、よりいろいろなものを探そう、発見しよう、挑戦してみようと子どもたちは一生懸命になります。そして何かを発見したり、できたりすると「ねえ!見て!見て!」といって発見したもの、できたことを見せてくれます。その子どもたちの感動を一緒に喜ぶとき、大人である私にも新しい発見が生まれ、またまたうれしくなってしまいます。子どもたちと一緒にいろいろなものを探し、挑戦して、何かを見つけた喜び、何かができた喜びを共にしていきたいですね。

2022年5月

 新緑が美しい季節となりました。園庭のイチョウの木もかわいい葉っぱが芽吹き輝いています。その新緑に輝いている葉っぱも1ヶ月ほど前にはどこにそんな葉っぱがあるのかは分かりませんでした。でも見えないところで葉っぱは芽吹くためにいっぱいいっぱい力を貯えていました。そして芽吹いた今は小さな葉っぱも、のびざかり!これからどんどん大きくなっていくことでしょう。
 子どもたちひとりひとりも今がのびざかり!どんどん、どんどん豊かに成長しています。その成長が「見えるとき」大人はうれしくて安心します。でも子どもの成長は「目に見えなくなってしまうとき」もあります。そういうとき大人はやきもきしたり、心配しすぎたりして、ついつい子どもにプレッシャーをかけてしまいます。そのプレッシャーがプラスに働く場合もあるのですが、多くの場合はプレッシャーが子どもを萎縮させ成長の妨げとなってしまいます。
葉っぱが見えないところで芽吹くために力を蓄えていたように、子どもたちも見えないところで力をいっぱい、いっぱい貯えているのです。ですから大人もこういうときは心を大きくしてただ子どもに寄り添っていればよいのです。見えることだけに気を取られているとそのことに気づかずに心配だけがただただ大きくなっていってしまいます。
 見えることだけではなく、見えないことにも目を注ぐ子育て、子どもを信じて子どもに寄り添う子育てを共にしていきましょう。

2022年4月

 いよいよ新しい年度がはじまりました。草の芽、木の芽が目を覚まし春も本番となりました。皆様!ご入園・ご進級おめでとうございます。
子どもたちは大きな期待を胸に、輝く笑顔いっぱいです。子どもたちのこの笑顔は「平和」そのものです。でも不安や恐れが子どもたちの中で大きくなってしまうとニコニコの笑顔がどこかにいってしまいます。
 「あなたがたに平和があるように」とイエス様は不安と恐れで笑顔を失っている人々の真ん中に立ち言われました。この言葉はイエス様から「恐れなくてもいいよ、私はどんな時も一緒にいるよ、一緒に歩いて行こう、一緒に平和を創り出していこう」との呼びかけの言葉です。この言葉とイエス様の人柄・人格に触れて,不安と恐れの中にあった人々は勇気を与えられ、安心して身を起こし歩き始め、笑顔を取り戻すことができました。
 子どもたちの輝く笑顔こそ「平和」のしるしです。この新しい年度の子どもたち一人一人の歩みが不安や恐れにのみ込まれることなく、安心の中輝く笑顔・平和で満ちたものとなるように子どもたちと共に歩んでいきたいと思います。世界中の子どもたち一人一人に「平和があるように」と心から祈りつつ。

2021年11月

 今、私たちは実りの秋、収穫の秋を迎えています。「いのち」あふれるこの秋の実りに感謝です。私は「いのち」について思いめぐらす時、本当に厳かな気持ちになります。「いのち」を「生きている」ということは、当たり前のことではなく本当に奇跡です。一つひとつの関係の中で(その関係の数は膨大です。人と人、人と自然、自然と自然等々の関係によって)「いのち」は生まれ、育まれます。その膨大な関係の一つでも無かったり、ちょっとでもおかしくなっていたりしたら「いのち」は生まれることも育まれることもできません。このように「いのち」について思いをめぐらすとき、私はその一つ一つの関係を導き、育み、共にあるという力を感ぜずにはおれません。そして「いのち」の大切さ、厳粛さを本当に知らされます。
 私たちはともすると「生きている」ということが当たり前になってしまって、「いのち」の大切さ、「いのち」の不思議さ、「いのち」の厳粛さということを忘れがちになってしまいます。
私たちはこの実りの秋にもう一度「いのち」の大切さ、不思議さ、厳粛さに思いを馳せたいと思います。そして共に「いのち」を大切にする関係を育み、本当に「いのち」をお互いに大切にする子育てをしていきたいですね。

2021年10月

 キリスト教は「愛の宗教」だとよく言われます。私はキリスト教の牧師を30年していますが、常にこの愛ということを考えさせられています。キリスト教において一番大切なことは「神様が私たち人間一人一人を子として愛し、私たち一人一人が神様から必要とされ認められている(神様から名前を呼ばれている)存在である」ということを伝えていくことです。今、「神様から名前を呼ばれている」ということを書きましたが、このことは「神様がその人をその人として受け入れ認めている」ということです。
 柳美幼稚園でもこのことを一番大切に考え、保育にあたっています。子どもたちひとりひとりが神様から愛され、受け入れられ、認められているかけがえのない存在であること。このことを子どもたちが日々の生活の中で実感できるよう心がけています。
それは子どもも大人も愛されていることを実感できたとき、自ら考え、自ら歩み出して、本当に愛する人、優しい人になっていくことができるからです。
私たちは互いに愛を実感できる日々を生きていきたいですね


2021年9月

 二学期が始まりました。幼稚園には子どもたちの元気な声が響きわたっています。
 子どもたちの元気な声を聞くと、子どもたちのその元気が伝わってきて私も元気になります。子どもたちは決して人を元気にしてあげようと思って元気に振る舞っているのではありません。自分の喜び、楽しみ、またイヤなこと、悲しいことを素直に表現しているだけです。この素直さが人を元気づけ、人を癒してくれたりします。
 子どもにとって、この素直にのびのびと自分を表現できるということがとても大切です。この素直な心は、自分が大切にされている、愛されている、受入れられているという実感から生まれます。そしてその実感があるからこそ、素直に人を大切にすること、生命を大切にすることができる人になっていくことができるのです。
 互いに愛し合い、互いに心かよわせていく時、子どもも大人も心が豊かになり安心して過ごしていくことができます。不安が、心配が多いこの時ですが、互いに愛し合い、心通わせていくことを日々大切にして過ごしていきたいですね。

2021年7月

 青空の下、草の上で大の字に寝転んだり、木々の緑の中で大きく深呼吸をしたり、満天の星を眺めたりしていると、とても気持ちがよく心身共に癒やされます。人は自然の大きさやぬくもりを感じると癒やされ、本当に気持ちよくなり、また心も大きくなったように感じます。それは大地に、自然にいだかれているという安心感からそのように感じるのかもしれません。


 その一方で人は不安や恐れや疑いが一杯だと安心できません。勇気もでません。そして自然に目を向けたり、他の人に心を寄せたりすることもできなくなり、自ら一歩を踏み出す勇気もなくなってしまいます。でもおかあさんにいだかれている、大地に自然にいだかれている、そして神様にいだかれているというぬくもりを感じられたら人は安心することができます。そしてそのぬくもりを本当に「気持ちいい」と感じることができ、心ゆくまでこのぬくもりを楽しむことができます。このぬくもりが、安心感が子どもを支え、育み、人と共に生きていく、自ら一歩を踏み出していく力の基となります。また子どもを暖かく抱きしめることができたときそれは親にとっても「気持ちいい」瞬間であり、この子どもの存在が生きていくための支えであることを実感できる時となります。


 子どもをやさしく、暖かくいだくこと、このことを本当に大切にして、子どもがぬくもりを感じて、いつも安心していることができる子育てをしていきたいですね。

2021年6月

 今年は驚くほど早い梅雨入りとなりましたが、私たちが暮らすこの日本には季節の移り変わりを実感できる素晴しい自然があります。自然は私たち人間にいろいろなものを与えてくれます。生きるための糧、生きるための知恵、自然にふれることによって得られる癒しなど、数え上げればきりがありません。 

 子どもたちにとっても自然とのふれあいは無くてはならないものです。虫や動物とのふれあい、草花や野菜を育てたりすることは子どもに生命の大切さ、自然の素晴らしさ、自然とふれあうことのおもしろさを教えてくれます。しかし近年、自然と人との距離が広がり、身近に自然が感じられない、自然に対する正しい知識が失われ、そして自然はどこか怖いものと感じてしまうことが増えているようにも思われます。また人がこれでもかというほどに自然を壊してしまってもいます。これらのことは本当に悲しいことです。 

 自然への正しい知識を持ち、自然とふれあい、自然を大切にする心、一つ一つのいのちを大切にする心をみんなで育てていきたいですね。